「社会的成功者」になるのか「人生の成功者」になるのか
昔は(私の青春時代)まあ、昭和から平成の初期?にかけては
「成功者」というと「社会的成功者」を指していました。
・お金持ち
・大企業に勤めている
・公務員等々・・・
安定してお金が稼げる職業に就いたら「成功者だ」と自分も思っていたし、周りからの評価も良かったわけです。
いわば、「他人からの評価」がべらぼうに高かったわけ。
「あの人はあんな大企業に就職したからすごい」
「あの人はあんなに設けてお金持ちになってすごい」
「あの人はあんなにすごい家を建ててすごい」
全ては周りからの評価によって決められていたと言っても過言ではありません。
昭和時代の方々は、周りからの評価が高いと、「へへ〜ん、すごいだろう、自分ってすごいんだぞ」とほくそ笑んでいたのです。
ですが、心の中はどうだったのでしょうか?
万が一、病気になってその大企業をやめることになったら?
会社の中でとても窮屈な思いをしていたら?
いじめにあっていたら?
公務員で、「何このクソつまらない仕事。やりがいが全くない」と心の中で思っていたら?
いつでもこの生活が壊れるかもしれないという「不安」「恐怖」が付きまとっていたのです。
そして、それは「社会的な成功」であって「人生の成功」ではないのです。
社会的な成功を求められていた高度成長期
私たちが育った時期は
勉強して、良い大学に入って、良い職場に就くこと=幸せ
と思わされて生きてきました。
思わされてきたとも言えるし、思い込んできたとも言えますよね。
多分、99%信じて疑わなかったのではないかと。
外からの刺激もほとんど全てが(テレビ、ラジオ、環境そのもの)それだったから。
勉強できないと落ちこぼれ。
運動できないとダサい人。
先生やクラスメイトから褒められると承認欲求が満たされて鼻高々になる。
怒られると簡単に鼻をへし折られる。
所謂「優等生」「良いこ」「個性のないこ」が持て囃されていた時代です。
「個性」が死んでいた時代と言っていいです。
そして
まるっきりの「他人軸」で生きてきた人がほとんどでしょう。
社会的な成功をめざす生き方とは、他人の価値観に合わせて生きる生き方。
「他人から認められたい」という他人軸の生き方なのです。
他人から認められれば、戦争時代であれば、人をどんどん殺したって良いわけで、殺す人数が多いほど、認められたのです。
他人から「すごいね!」と言われ、社会的な成功者になっていったわけですね。
ですが、その人の気持ちはどうだったのでしょうか?
沢山の人を殺して・・・
心の底では、「不幸せ」を感じていたのかもしれません。
「戦争なんか嫌だ、生きたくない、人を殺すのは犯罪だ」という人が居たなら、「非国民だ」と非難された時代です。
結婚もそうです。
周りから見て「いい人」を選ぶ。
友達から「いい人と結婚したね」「玉の輿だね」「イケメンだね」と言われれば気持ちが良いわけです。
「S子、あんな大企業に勤める人と結婚したんだって」
「M子、医者と結婚したんだって」
「K子、資産家と結婚したんだって」
周りからは羨ましがられ、褒められた結婚。
ですが、果たしてその人は幸せなのか?
幸せな結婚をしていたなら、3組に1組離婚するというこの時代はどうなっているのか?
世間体ばかり気にして、他人の目ばかり気にして、老いて一生を終わる。
人間は、死の直前に悟る
と言いますよね。
死ぬ=夢から覚める
ということです。
身体が動かなくなり、どんどん遠のく意識の中で・・・
「ああ、これは夢だったんだ。長い長い夢だったな。色んなことがあったけど、どうせ夢だったら、もっとあれもこれもやっておけば良かった」
で終わるのか
「ああ、この長い夢の中、自分は沢山の経験をした。色んな人に会ったし、失敗もしたし成功もしたし、充実した人生という夢だっなあ」
と感じるのか。
あなたの幸せの基準は何ですか?
お金持ちになって、タワマンに住むことですか?
それとも
毎日、卵かけご飯が食べられれば幸せ
ですか?
ちなみに、私の幸せは
「私と旦那、子供達3人が幸せな気持ちで常に居られること。
みんな健康で好きなことができること」です。
幸せとは、感情なんですね
結局、お金持ちであろうが、貧乏であろうが、タワマンに住もうが、一軒家に住もうが、軽自動車に乗ろうが、高級車に乗ろうが、その人がどんな
感情を抱いているか
ということなのです。
自分が本当に「今の私は本当に幸せな感情を抱いてるなあ〜」と感じている時ってどんな時ですか?
外側は関係ないのです。
誰かと比べる必要もありません。
自分軸をしっかり持って、常に幸せな感情を抱いて過ごしていきましょう〜♪
コメント